MBCC ISE CAMP「ソマティックコーチング」体験レポート

あなたのその水袋みずぶくろにそっと近づく。
足の裏と足の裏が、
まるで初めて出会うものたちのように触れあう。
あなたの体温とわたしの体温が解けあって、
その境界さえも、うすらぎ、ゆらぐ。
それがどちらの感覚なのか
わからなくなるほどに混じり合ったとき、
そこに、ふと「スペース」はうまれていた。

伊藤真紀

きっと、こんな言葉をいわれても、なんだかわけがわからない、と戸惑いを覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

けれど、伊勢で同じ時間を過ごした方の中には、この言葉が呼び覚ます感覚をありありと思い起こす方もいらっしゃるかもしれません。

大地を踏みしめ、私たちの重みを一身に受けとめる足の裏は、からだの中で一番ぶ厚い皮膚をしているそうです。

その足の裏で、自分ではない誰かの気配を感じとる。そんな微細な感覚を養うワーク。

他人の足の裏に、自分のそれを重ねる。ふだんであれば、よほど親しい間柄でなければ、ためらいが先に立つ行いなのでしょう。

それが、どういうわけか、初めて会った人の足と触れ合うことに何のわだかまりもなく、なぜだか気のおけるような、すみやかにうちとけて一つになるような、不思議とやすらぐ感覚がありました。

触れようとするとき、相手をどうにかしてやろうという気負いもなく、また、いわゆるソーシャルスキルで繋がろうとするのでもなく、ただ、おのずとそうなるように、触れあっていく。そんな生まれたままのありのままの心持ちでつながることで、踏み込まれるのではないかという怖れも抵抗もなく、ただ、その人と共にゆらぎ、たゆたうだけの存在になれたのでした。

こうして始まったワークショップでは、からだという不思議な器が秘めている可能性に、様々な角度から光があてられていきました。それはまさに、テーマの一つである「フロー(Flow)」、つまり「go with the flow(流れのままに)」という言葉が示すように、その場、その瞬間の息づかいに呼応して、自然と形づくられていくような、生き生きとしたプロセスそのものでした。


身体が目覚め、心と頭が調和する

その流れの中で私が体験したのは、からだで感じたことを、心の奥でそっと確かめ、ああ、そうなのかもしれないと静かに頷き、そして、いったい何が起きているのだろうと、頭の隅で言葉を探し、誰かに伝えてみる、ということ。あるいは、あたまの中で生まれた考えを、心に問いかけ、そしてからだで試してみる、ということでした。

このようにして、からだも、こころも、そしてあたまも、どれひとつ置き去りにされることなく、まさにカラダ・ココロ・アタマが繋がり合い、響きあい、相互に協力し合っている一体感、そんな満ち足りた感覚を味わうことができました。

そして、この時に感じられた、肌のぬくみ、微かな湿り気、脈打つ振動、ふとした力み、そして解けていく緩み。

このようなからだから伝わる声なき声を、私たちは、日頃どれだけ聞き取ることができているのでしょうか。

このからだから伝わる、その確かな信号を道しるべに、日々の暮らしを整え、自らの歩みを、望む方へと描いていくことができたなら、人生という旅は、どんな景色を見せてくれるでしょうか。

あるいは、この限りなく微かに伝う感覚、けれど確かな温もりを分かち合うように人と関われたなら、この世はどのように変わって見えるでしょうか。

からだの感覚が、どれほど深く自分自身を教えてくれ、本質的に人と人を繋ぐのか。そして、それがコーチングという、人の傍らにそっと寄り添う営みに、どれほどの豊かさをもたらしうるのか。

そんなことをおぼろげながらも感じ、考えることができた、そして何よりもまず、この「からだからのメッセージ」を受け止め、活用できるようになるための「身体知(Bodily Intelligence, BQ)」への扉が、確かに開かれたような、そんな気がしたひとときでありました。


伊勢の杜の記憶、常若とこわかの精神に触れて

ワークショップの合間には、朝の光がまだ淡い時刻伊勢の神宮へとお参りしたり、伊勢志摩の海の幸を仲間とともにいただいたりする時間も楽しめました。

伊勢といえば、誰もが「お伊勢さん」と親しみを込めて呼ぶ、伊勢神宮。伊勢神宮は、正式にはただ「神宮」とだけ記されるのだそうです。天照大御神のお告げに従い、およそ二千年の昔に創建されたと伝えられています。

お参りは外宮げくうから、というのが古くからの習わしと聞き、伊勢神宮外宮内に足を踏み入れると、一歩ごとに玉砂利の音が響きます。

雨に洗われた木々の葉はみずみずしく、鳥のさえずりに包まれながら新緑のなかを歩けば、雨上がり特有の湿った匂いがたちこめ、水をたっぷりと吸い込んだ苔の鮮やかな緑に目が奪われました。

深い皺を寄せた杉の古木の幹は、長い年月をかけて苔むし、美しい緑青ろくしょうの色をまとっていて、それは同じ色合いの石段と、まるで共鳴しているようでした。

遠くに知っている顔を見つけ、思わず手を振れば、相手もまたこちらを見つけて笑顔がほころぶ。そんな小さな喜びでさえ、ふだん画面越しに向き合うことの多い暮らしの中では忘れがちな、からだごとそこにあるという感覚を、そっと取り戻していくような体験でした。

神宮の境内に身を置くと、どこか背筋の伸びるような、それでいて深く穏やかな静けさが満ちているのを感じます。

森閑な雰囲気のなか、どこかで「お天道さま」が見守ってくれているような、その大きな何かに抱かれているのだという安心感に包まれると、心は自然と素直になる、そんな心持ちがします。

そして、その温かいながらも凛とした佇まいは、私たちが学んだ「スペース」や「フロー」という感覚と、どこか響きあうものがあるように思われました。

古代のひとびとは森羅万象に魂が宿ると考え、山や森、大きな岩や古木そのものを敬い拝んできたのだそうです。それがやがて神社という形に発展したそうですが、ここ伊勢の杜では、そんな自然とともにあるという太古の感覚が、呼び覚まされるかのような場所におもえます。

二十年に一度、社殿を常に新しく、瑞々しいままに保つという「式年遷宮」の儀式。そうして再生と循環を幾度となく繰り返してきた「神宮」。そこにいると、身も心も、そして曇りがちだった感性までもがすがすがしく生まれ変わるような気がするのは、この「常若とこわか」という、永遠に若々しい生命の精神と、尽きることのない自然の息吹が、私たちにそっと力を与えてくれるからなのかもしれません。

天照大御神が「うまくに」と称えたという伊勢の地。その豊かな自然が育む海の幸、神宮に神饌しんせんとして奉納されるあわびなどを使ったお粥を仲間たちと共にいただくひとときは、自然の恵みがからだの隅々まで染みわたり、こころをふんわりと解きほぐしてくれるようでした。

今回のワークショップには、MBCCの受講生だけでなく、様々なコーチングスクールで学ばれている方々、あるいはコーチングとはまったく別の道を歩む人々も参加されていました。

それぞれの場所からやってきた者たちが、垣根を越えて出会い、伊勢という同じひとつの「ひろがりに身を置き、それぞれの心に響いた「スペース」という言葉の意味を抱いて、またそれぞれの暮らしへと帰っていく。

ほんの短い時間ではありましたが、そこにはとても深く、言葉にはならぬほどの繋がりが生まれていたように思います。

別れのときがきて、交わされる「お身体からだに気をつけて」という挨拶。

このありふれたはずの挨拶が、これまでとはまったく違う、特別な響きをもって胸に沁みたのは、きっと、この伊勢の地で、私たちはみな、自分自身の、そして傍らにいた誰かの「からだ」という、かけがえのない器の声を確かに聴き届けたからに違いないと思うのでした。

そして、それは、まぎれもなく「いのち」の声そのものであったと、いま、静かに思いかえしています。

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